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治療家を目指したきっかけ

今日は私が治療家になろうと思ったきっかけについてです。

そもそも、みなさんは既にさまざまな仕事に就いていたり、資格をお持ちの方もいらっしゃると思いますが、今の仕事を始めるきっかけとなる何らかのストーリーがあるのではないかと思います。

私の場合

1982年生まれですので、その頃に生まれた大学生はみんな就職氷河期と言われる時代の真っ只中だったと思います。

私も当初はなんとなく大学3年の秋から色んな就職説明会に足を運び、なんとなく就活というものをしていました。

しかし、なんとなくの就活でしたのでとりあえず内定とれたらという程度で、だんだんと就活のエントリーも減り、活動そのものもやめてしまいました。

正直なところ、「働きたくない」が本音で、毎日暑い日も寒い日もスーツを着て、満員電車に揺られて出社する日々に希望が見えませんでした。

大学時代、今思えばめちゃくちゃ楽しく過ごせたと思っています。先輩、同期、後輩にも恵まれたと思っています。たぶん大学に留年していいとしたら遠慮なく留年していたかもしれません。

ただ、ちょうど大学4年生の時に、うちの母が「今度、おばあちゃんが介護施設に入ることになったからちょっと付き添ってよ」と、言われ

暇を持て余していたから軽い気持ち「いいよ」と、返事して、その介護施設に向かうことになりました。

高校生くらいから自分中心の生活や人付き合いとなり、親戚の家に足を運ぶ機会がなくなって、祖母と会うことも全くなかったので久しぶりに会うのを楽しみにしていました。

そこで出会ったのは相変わらず笑顔で迎えてくれる祖母がいたのですが、実際は認知症がかなり進んでいて、私のことをわかっているのか、わからないのか何とも言えない表情をしていました。自分を認識しているのかわからない祖母を見て、結構ショックを受けたことをよく覚えています。

その後、祖母のいる介護施設の中を見学させてもらったのですが、レクレーションやリハビリテーション、介護、入所者さんとの話し相手など、現場で楽しそうに仕事をしている職員さんたちがいました。

身体が不自由で介護生活になっている人、認知症やパーキンソン病など、さまざまな方がいて、そんな中でも笑顔で対応する職員さんたちを見て、次第に心を揺さぶれるような気持ちになりました。

「俺は仕事さえもしようとしてない、社会に出るのさえ受け入れようとしていない。ほんと情けない男だな。」

と、自分の置かれている状況にようやく気づきました。

思えば、我が家は裕福な家庭でもなく、両親は私が中学2年の時に離婚し、母親が兄と私を育ててくれました。

さんざんわがまま言っておいて、中学、高校、大学と私立に行かせてもらいながら、最終的に仕事をしない。

どこかで変わらなきゃ、そんな葛藤がずっと心の中にありましたが、祖母との再会が

「自分もこういう人の役に立てるような仕事がしたい」

今まで思ってもなかった気持ちが沸々と込み上げてきました。

その後、祖母と一緒に打ち上がった花火を見て、強く手を握りしめてくれたことを今でもよく覚えています。

もしかしたら、祖母は何かを私に伝えたかったのかもしれません。

それから、医療系の国家資格を色々と探すことにしました。理学療法士、柔道整復師、ケアマネジャー、鍼灸師など。

ただ、これからの時代を考えると介護をするのも大事だけど、介護にさせない身体づくりを支援できそうな資格を取ろうと思い、柔道整復師の資格を取ることしました。

「骨格と筋肉のプロになれる」と、書いてあったのが印象的だったからです。

その後、学費の工面のため、リラクゼーションで1年間ほどアルバイトをして、専門学校へ行き、最終的に柔道整復師の資格をとりました。

昔の私がそうであったように、将来どんな仕事がしたいのかなかなか明確にならなかったり、今も仕事に就いておきながら「この仕事でいいのか?」と、自問自答している人もいるでしょう。

私は社会に出るのが遅くなってしまいましたが、人は使命や志が見つかれば、いつからでもどこからでも変わることができると思っています。

人は変えられないが、人は変われる。

そのきっかけが思いもよらない、いつもと違った行動にヒントがあるのかもしれません。

迷ったらいつもと違う選択をしてみる。

何かの参考になれば幸いです。

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この記事を書いた人

株式会社May-Plus代表。東京都足立区出身。
「整体をもっと身近な存在に。」という想いを元に
整体を通じて多くの人が身体の痛み・悩みから解放され
薬に頼る必要のない身体づくりをサポートしていきたいと思っています。

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